富士塚とは、富士山を模して作られた人工の塚や山のこと。関東エリアを中心に300基以上存在すると言われており、現在、練馬区には4基の富士塚があります。富士登山26回の経験をもつライター・FUJIが、練馬の富士塚に実際に登ってきたレポートをお届けします!
富士塚は富士山への信仰のあらわれ
御殿場市から臨む富士山
江戸時代、山岳信仰に基づく「講」と呼ばれる民間の信仰が流行し、富士山を崇(あが)めるグループは「富士講」と呼ばれていました。「富士講」のほか、長野県の木曽御嶽山を信仰する「御嶽講(おんたけこう)」や、神奈川県の大山を信仰する「大山講(おおやまこう)」など多くの講が生まれ、江戸時代後期には「江戸八百八町、講の数は八百八講、講中八万人」と言われるほどだったそうです。
「富士講」の信者は、富士山に登って浅間神社に参拝することを目的としていますが、当時は今のように簡単に富士山へ行くことはできません。健脚な人でも、江戸から富士山のふもとまで3日、そこから頂上まで往復2日。出発してから帰ってくるまで最低でも8日間はかかる計算です。悪天候の場合はもっと日数が延びたはず。全行程徒歩なので、子どもや老人、体の弱い人などは行くことが叶いませんでした。
富士山吉田口登山道の馬返しにある山小屋「大文司屋」には、富士講から贈られた盆があり、現在も使われています
また、富士山は明治5年(1872年)まで女人禁制で、女性は2合目にある神社までしか登ることができませんでした。そのため、講の中で毎年代表者を決め、講員みんなで経費を負担して、代表者が富士山に登っていたのです。
そのうち、誰でも富士山登頂と同様のご利益を受けられるようにと、各地に富士山を模した富士塚が作られるようになりました。富士山から運んできた溶岩や石が使われているところもあり、徒歩で往復していた時代によくやったなぁ…と思いますが、富士山に行けない仲間のために尽力した証なのです。
それではさっそく、練馬区にある富士塚の登頂レポートをお届けします!ちなみに、現存する4基の富士塚は全て練馬区の指定文化財です。
①中里の富士塚「大泉富士」〜山頂からの眺めが最高!〜
「中里郷土の森緑地」と「稲荷山公園清水山の森」の中間あたりに位置する富士塚です。スケールが大きく、空に向かって登っていくような開放感あふれる登山道が特徴。道中には石造物が36基もあり、その中でも道祖神の碑は区内唯一のものです。中里という古い地名が付いていますが、清瀬市にある「中里富士」と混同されるため、「大泉富士」と呼ばれることもあります。
さあ登るぞー! 練馬こぶしハーフマラソンにも参加しているライター・FUJI。タオルを広げて練馬愛をアピール(笑)
さっそく登山開始! 小さな丘のように見えますが、思ったより本格的な山道なので、足元はスニーカー必須。一合目、二合目と記されている合目石を確認しながら、登山道をジグザグに登っていくと、鈴原神社や小室浅間神社、小御岳神社などの神社の碑や、経ヶ嶽・薬師ヶ嶽・烏帽子巌など実際に富士山にある山や聖地の名前が刻まれた碑が見られます。
ジグザグ道を折り返すポイントでは、バランスを崩さないように注意が必要なため、登山途中はあまり撮影できず…(安全第一!)。石碑を見ながら5分ほどかけてゆっくり登り、ようやく山頂に到着!
山頂には祠(ほこら)があり、富士山の山頂と同様、剣ヶ峰や駒ヶ嶽、馬の背などの石碑が並んでいました。厳密に言うと、実際の位置とは違うのですが、ここまで造りこんでいるとは、かなりの気合いが感じられます。
山頂から見下ろした登山道。かなりの急勾配で高さがあります
登山道に積み上げられている富士山の溶岩
山頂からは南に開けた景色を見渡すことができ、「山に登った!」という達成感大! 昔はここから富士山の姿を拝むことができたのかも!?
山頂から臨む景色
左:山頂の祠 右:登頂ポーズ!
▪️ひとくちメモ
明治初期に丸吉講(※)によって築かれたとなっていますが、1822(文政5)年の石碑があることから江戸時代にはすでに存在していたと思われます。今も地元の富士講の人々により手入れされており、毎年8月1日には山開きが行われています。
※丸吉講(まるきちこう)… 浅海吉右衛門(あさうみきちうえもん)によって新座郡で開かれた富士講。入間郡、豊島郡、多摩郡、新座郡の4郡に信者を広め、天保年間には4,000軒を超える加入戸数となりました。
▪️基本情報
所在地:練馬区大泉町1-44 八坂神社脇
高さ:約12メートル
直径:約30メートル
②江古田の富士塚「江古田富士」〜登れるのは年に6日だけ!〜
江古田駅北口を出てすぐの浅間神社の境内にある富士塚です。
ここに登れるのは1年に6日だけ(1月1日〜3日、7月1日、9月の第2土曜・日曜)。今回は登ることができなかったので、過去に登った時の様子をお伝えします。
富士山吉田口登山道入り口の鳥居に鎮座している狛猿
富士山には、干支でいうところの庚猿(かのえさる)の年に誕生したという伝説があり、猿は富士山(神様)の使いと言われています。そのため、富士山の吉田口登山道の0合目に当たる馬返し(馬がこれ以上進めないので返す場所)から登ると、鳥居のすぐ先に狛犬ならぬ狛猿がいるのです。
江古田の富士塚も、入り口の鳥居をくぐると猿がいて、本家の登山道と似た造りになっているのでぜひ注目してみてください。
木に囲まれた登山道を登っていくと、至る所に石碑を発見。合目石のほか、実際の富士山の登山道にある地名「太郎坊」が書かれた石や、天狗の石像、小御嶽神社や稲荷神社などの小さな社が立っています。
富士山から持ち込んだ溶岩を積み上げた登山道はかなり急勾配で険しいのでそれなりの覚悟を(笑)。
山頂には鳥居と祠(ほこら)があり、そこから見下ろすと、かなりの高さがあることがわかります。実際の富士山と同じく、登ってきた道とは別の下山道があるので、そちらから下りることもできます。
▪️ひとくちメモ
江戸七富士(※)の1つ。都内最大級の大きさで、国の重要有形民俗文化財に指定されています。もともと神社内にあった古墳で、形が富士山に似ていたため富士塚にしたという説も。うっそうとした緑に覆われた富士塚で、足元が緩いところもあるため滑らないように要注意。
※江戸七富士とは、江戸時代に富士講の人々が都内各地に築いた代表的な富士塚。品川富士(品川区)・千駄ヶ谷富士(渋谷区)・下谷坂本富士(台東区)・江古田富士(練馬区)・十条富士(北区)・音羽富士(文京区)・高松富士(豊島区)の七基。
▪️基本情報
所在地:練馬区小竹町1-59 江古田浅間神社内
高さ:約8メートル
直径:約30メートル
登れる日:1月1日〜3日、山開きの7月1日、浅間神社例大祭が行われる9月の第2土曜・日曜の6日間のみ(いずれも9時~15時)
③下練馬の富士塚「下練馬富士」〜北町商店街の一角にあります〜
東武練馬駅から約4分、旧川越街道沿いにある北町浅間神社の境内にある富士塚です。
ここでも登り口の先に猿が見えます。中規模ながら、山頂を見上げるとかなりの高さを感じます。
急斜面の直登ルート
ここは、つづら折りの登山道に加え、直登(ちょくとう)ルートがある珍しい造り。このルートで一直線に登ることができますが、かなりの急勾配です!
中腹あたりをぐるっと囲む「お中道」
また、お中道(ちゅうどう)があるのも特徴です。お中道とは、富士山の中腹(標高2,300メートル前後)を一周する道で、かつては富士山に3回以上登頂した人だけが歩くことを許された信仰の道のこと。本物の富士山をしっかりと模している様子が伝わってくる富士塚です。
現在の富士山のお中道
登り口にルートや石造物などが書かれた案内板があるので、登る前にチェックしておくと、より楽しめると思います。
登山道をくねくねと登っていくと、天狗の像や、いくつもの同行碑を見かけました。同行碑とは、講の仲間が参拝した記念や、供養のために建立した石碑のこと。よく見ると、いろいろな講の印が刻まれている碑も。単独ではなく、他の講の人たちと登ることもあったのでしょうか? そんなことを考えているうちに2分ほどで山頂に到達!
山頂の案内板
山頂に祠などはありませんが、足元に標高37.76メートルの表示が。富士塚自体の高さは5メートルですが、標高は富士山の100分の1ということですね。すぐ近くには「富士山 Mt.FUJI」という案内板があり、指し示す方向には実際の富士山があります。
周りに高い建物がなかった昔は、富士塚の山頂から富士山を眺めることができたのではないでしょうか。
山頂から見下ろした景色
登頂ポーズ!
▪️ひとくちメモ
こちらも丸吉講によって築かれたと考えられています。講は消滅してしまいましたが、現在は町会の有志によって7月1日に山開きが行われており、きれいに手入れされていることが伝わってくる富士塚です。旧川越街道から少し奥に鎮座しているので、見落とさないようご注意を。
▪️基本情報
所在地:練馬区北町2-41 浅間神社内
高さ:約5メートル
直径:約15メートル
④氷川神社の富士塚「大松(おおまつ)富士」〜隠れ家的パワースポット〜
地下鉄赤塚駅から徒歩約12分、氷川神社の鳥居脇に築かれた富士塚です。他の3基に比べるとコンパクトなサイズながら、富士塚全体が木々に覆われ、パワースポット感ありあり(笑)。
下から見上げると山頂が見えますが、実際に登ってみると、石を乗り越えて狭い登山道を進んでいく感じです。
途中、鈴原神社の石碑が目に入ります。これも、富士山にあった鈴原神社をしっかりと模している証です。鈴原神社(鈴原社)とは、富士講で使っていた北口本宮冨士浅間神社からの吉田口登山道の一合目にある社のこと。500年前には創建されていた記録があり、1840年代に建てられた社がそのまま残されていましたが、老朽化に伴い、富士吉田市が中心となって昨年解体されました。その建築部材は、再建のためにふもとまで人力で下ろされたそうです。
石碑はそれほどありませんが、ここでも合目石を確認しながら登っていくと、1分ほどであっと言う間に山頂の小さな祠に到着! この祠には「天保6年(1835年)に再建」と刻まれているので、それ以前からこの富士塚が造られていたことがわかります。
左:山頂から見下ろした景色 右:山頂の祠
登頂ポーズ!
▪️ひとくちメモ
こちらも丸吉講によって造られましたが、すでに講は消滅しており、山開きなどの行事は行われていません。高さは3.7メートルとなっていますが、これは北側基部からの高さ。南側の登り口からはもう少し高く感じます。
▪️基本情報
所在地:練馬区北町8-22 氷川神社内
高さ:約3.7メートル
直径:約15メートル
⑤おまけ 〜幻の春日町の富士塚〜
実は、練馬区にはもう1つ富士塚がありました。春日町在住の丸山講信者によって昭和6年(1931年)に築かれたもので、手入れもされてきれいに保存されていたそうです。個人宅の庭にあったため、自由に登ることはできませんでしたが、外の通りからはその頂にある祠を見ることができました。先達(富士山登拝の指導など信者を率いるリーダー役)であった当主が亡くなられたことにより富士講も消滅。しばらくの間、富士塚は残されていたのですが、残念ながら10年ほど前に取り除かれてしまったようです。
練馬の富士塚を登った感想
富士講の知識を頭に入れてから登ってみると、江戸時代の人たちが強い信仰心をもって富士塚を造ったことがよくわかります。また、富士山を模すだけでなく、行きたくても行けない人たちが少しでも恩恵やご利益を受けられるように、いろいろと考えられていたのだと改めて感じました。
この記事を読んで、富士塚に興味をもった方はぜひチャレンジしてみてください。ただし、富士山のミニチュア版だとあなどるなかれ!見た目より登山道が険しかったり、足元が悪かったりするので、本物の富士山に登るくらいの気持ちで臨みましょう。山頂に立てば、ささやかながら達成感があり、富士山登頂と同じご利益が得られることでしょう♪
※富士山で撮影した画像の提供:ライター・FUJI
富士山での登頂ポーズ