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#103東映東京撮影所 所長
木次谷良助さん

制作進行のボウヤとしてスタート
怒られながら経験を積んできた


 幾多の名作映画はもちろん、『仮面ライダー』や戦隊シリーズ、『相棒』などの人気ドラマを生み出している東映東京撮影所。2015年4月完成した大泉学園駅北口の大泉アニメゲート「グラフィックウォール」には、東映撮影所の3枚のパネルも飾られています。

「映画の製作などに製作委員会方式が導入される以前、純粋に自社だけで作った1970年代までの映画のポスターを縮小して並べました」と語る所長の木次谷良助さん。

 1987年、「制作進行の助手の助手の助手」からスタートし、「ゴミ拾いから雑用までなんでもやった」という、いわゆる叩き上げの所長さんです。

「最初は右も左もわからない素人で怒られっぱなし。怒るのが愛情表現のような時代で、いい経験をさせてもらいました」

 制作進行とは、予算管理、スケジュールに始まり、弁当手配、配車から駐車スペースの確保など一式を担う「段取り屋」。住宅地でのロケの際は事前にビラを配り、挨拶回りをし、撤収前に掃除をします。自分たちが出していないゴミも片付けるなど、住民への気遣いも欠かしません。

「部活でいうとマネージャーのような仕事なんです。一番大切なのは、スタッフのケア。少なくて30〜40人、多くて100人規模のスタッフがいますから。その愚痴を聞き、『弁当がマズイ』といった苦情処理まで仕事のうちです(笑)」

 コンビニなんてない時代、朝に麦茶を用意すれば昼には「ぬるい」と言われ、それを用意しているそばから「こっち来て」「あっちであれを」と指示が飛ぶ忙しさ…。一方で、普通は行けないところに行けたのも、映画業界ならではの経験でした。

「飛行機にも乗ったこともなかったのに、初めての海外ロケでアジア・中東を3か月渡り歩きました。サウジアラビアの砂漠ではドライバーが迷子になって。車から降りて地平線から広がる星空を見たのは、忘れられない思い出です」

 それでも心が折れることばかりで、やめようと思ったのは毎度のことでした。

「でも、完成した映画のエンドクレジットに、こんな助手の自分の名前も入れてもらえた。それで『もう1本やってみようかな』と。あと、『あいつは途中であきらめた』と言われるのも悔しくて…カッコよくいえば、意地でしたね」



映画は"人"が作るもの
だからコミュニケーションが大切


 映画はもともと、小さい頃からの趣味でした。海外の派手な大作が好みで、思い出の一本は、1977年公開の『カプリコン・1』。有人火星探査宇宙船を題材にしたSFサスペンスに、「映画って何でも作れるんだ!」と感激したのが映画人生の第一歩でした。高校卒業と同時に上京し、趣味の映画を仕事にすると決意しました。

「何度も、『やっぱり趣味にしとけばよかった〜』って後悔しましたけど(笑)。今は新入社員に、回り道も経験になるんだと言えるようになりました」

「先代の言葉を借りるなら、『所長は一番の営業マン、一番の営業の窓口』です。撮影所には多種多様な人が来る。人と人とのコミュニケーションなしにいいものは作れない。その意味では、下っ端の愚痴聞き係から始まった自分は、話を聞くことには慣れていますから」

 映画は人がつくるもの。"人"というところを強調することばが印象に残ります。

 今後は、「地域に向けたイベントも企画したい」と木次谷さん。現在、一般の方が入所できる機会は、練馬区観光協会が主催するまち歩きイベント「ねりまのねり歩き」の大泉映画コースだけ。毎回抽選になるという人気ぶりです。

「社食での昼食もコースに入っているんですが、『おいしい』『安い』の声はとてもうれしいです。実は、他の撮影所は調布方面に集中していて、その沿線に住むスタッフが多く、東映は遠いイメージがどうしてもあるんです。『来てよかった』『来れば都!』と思っていただきたくて、社食も魅力のひとつとして売り込んでいます」

 練馬区にある撮影所で、人と人がつながって作られた映画やドラマの制作を、これからも楽しみにしています!

(2015年5月7日)

大泉学園駅北口に、 2015年4月に完成した 大泉アニメゲート 「グラフィックウォール」の 東映のパネル

製作した映画のタイトルを 記した木札がずらり!圧巻です

「撮影所内で使えるものは なんでも使う」が鉄則。 柳が特徴の通称「大森坂」は 多くの作品に登場しています(*)

実際に撮影で使われた車も 所内の駐車場に普通に 置いてありました

ミニチュアの街。 背景の青空は、専門の 職人による手描き! 撮影すると本物のように見える

今では手に入らない 古いふすまや引き手などが 大切に保管されています

東映のロゴ入り金太郎飴。 「ようこそ!」の思いをこめて スタッフやキャストに 配ります(上)。 安い、はやい、うまい! 昼時には行列ができる社食(下)

気取らずさっぱりとしていて、 話しやすい印象の木次谷さん。 「ねりまのねり歩き」の案内役 でもある阪井一哉さん(左)と、 管理部の渡辺直樹さん(右)

プロフィール

木次谷良助さん

木次谷良助さん

きじやりょうすけ 1966年、秋田県生まれ。将来の職業を考えたとき、「好きな映画を仕事にできたら…」と思い高校卒業後に上京。フリーの制作助手として映画に携わる(今もスタッフの9割はフリーという業界)。最初に参加した映画は、渡辺淳一原作の『別れぬ理由』。2005年に社員として東映に入社、2012年に所長に就任。趣味はバイクとシュノーケリング。昔は仲間とバイクで海沿いをキャンプして回っていた。好きなお店は、大泉学園のうなぎ屋「ふな与」。

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