特集記事 Reviews

#100狂言師
野村万作さん

芸歴80年にして現役!
狂言は先入観なしで観てほしい


 ねりま人が、ついに100回目を迎えました。満を持して、人間国宝にして練馬区名誉区民である狂言師、野村万作さんの登場です! 練馬区とのご縁から伺いました。

「私の子ども時代は、戦争で田端で焼け出され、仮の住まいが椎名町にあったんです。練馬から肥と野菜を交換するお百姓さんが来ていたこともあり、練馬には愛着があるんですよ。練馬に住んで、もう40年以上になりますね。結婚を機にはじめは大泉学園に家を構え、一度文京区に移りましたが、その後、石神井公園に稽古場兼自宅を構えました」

 長男の野村萬斎さんをはじめ、4人のお子さんも、練馬で一時代を過ごしました。

「末娘の光和小学校での同級生の実家が魚屋さんで、今も自転車で買いに行きます。魚と豆腐だけは、自分で買いに行くんですよ」

 そして、練馬区との文化的なつながりができたのは、1983年、練馬文化センターのこけら落とし公演から。以来、文化センターで毎年狂言公演を開催し、2011年には名誉館長に就任されました。

「私は演劇や歌舞伎、落語も好きなので、練馬文化センターでかかるいろいろな公演を観て、感想のひとつも述べたいなと思うのですが。年とともに時間の余裕ができるかと思っていましたが…なかなかうまくいきませんね(笑)」

 御年83歳にして、引っ張りだこの現役。芸歴80年(!)の万作さんに、狂言を観るポイントを伺いました。

「先入観なしで、舞台を観るだけで十分です。『予備知識がないとわからない』なんて思わないでください。最初に解説もありますし、集中して観れば、面白さがわかると思いますよ」

「狂言は喜劇と言われますが、表面だけで笑うのでも、かといってあまり緊張して観るものでもない。"中庸"が大切です。リラックスして、よく言葉を聴いて味わう。最近のお笑い番組の『ゲラゲラ笑い』とは違う、日本の伝統的な豊かな感性を感じてください」



大切なのは言葉
日本語の美しさを正しく伝えたい


「狂言は、室町時代の現代劇。そこでは、人間の長所も短所も、誰もが持つ欲望も描かれます。大名が風刺されることもあれば、家来がだらしなく描かれることもある。一方的な目線で描かれた劇じゃない。日本人が作った"人間讃歌"の劇なんです」

 万作さんを中心に公演を行うグループ「万作の会」では、区内の小学生向けに狂言のワークショップも開催しています。

「将来、日本語の美しさを感じ、美しく正確にしゃべれるようになることが大切なんです。私も20、30代の頃は学校公演に力を入れていました。先生方も熱心で、子どもたちは狂言を喜んで、いい笑い方をしてくれたなあと思い出します」

「大切なのは言葉」だと、熱弁する万作さん。朗らかななかにも、狂言への情熱がこもります。

「狂言は昔の言葉なので、今ではわかりにくいものもあります。でも感情を誇張して表現するので、感じはつかめると思います。舞台装置はありませんが、登場人物がゆっくり舞台を一周して『さてもさても、にぎやかなことじゃ』と言えば、都の風景がイメージできるでしょう? 想像力で成り立つ世界なんです」

 実演しながらわかりやすく説明してくださる万作さん。一方で、たくさんのお弟子さんを教える、師匠としての顔もお持ちです。

「弟子に『上手にやってほしい』とは思っていません。20代なら20代、30代なら30代の階段を少しずつのぼるもの。それぞれの年齢にふさわしいことを、きちっとやってくれれば、それでいい。年齢にふさわしい"質"を問うんです」

 ひと言ひと言に、芸の道を追求してきた人間の重みを感じます。

 今後の展望を伺うと、「石神井松の風文化公園で、『薪能』を実現したいですね」と意気込む万作さん。2015年4月14日、練馬文化センターで公演があるので、人間国宝・野村万作さんの狂言の世界にどっぷり浸ってみたいですね。

(平成27年2月2日)

狂言「棒縛」の舞台より 撮影・政川慎治

長男・萬斎さん、孫・裕基さんと 三代で演じた 2014年 狂言「成上り」 撮影・政川慎治

長男・萬斎さん、孫・裕基さんと 三代で演じた 2010年 狂言「二人袴」 撮影・オクムラ写真館

練馬文化センターの 名誉館長就任式で 挨拶をする万作さん (写真提供:練馬区)

練馬文化センター就任式で 展示品の説明をする様子 (写真提供:練馬区)

区立小学校でワークショップを 行うお弟子さんたち (写真提供: 練馬区文化振興協会)

誠実な受け答えに 万作さんのお人柄が伺えます。 この人間性が、狂言の舞台に 自然と表れるのかもしれません

いただいたサインは 「産業・観光情報コーナー」に 飾らせていただいてます

プロフィール

野村万作さん

野村万作さん

1931年、人間国宝・故六世野村万蔵の次男として生まれる。3歳で初舞台。小さい頃は稽古が嫌で、「逃げていた」という。早稲田大学に入学後、歌舞伎や新劇に通ううち、狂言の魅力に気づく。1950年、父の幼名「万作」を襲名。1954年の『夕鶴』出演をきっかけに、狂言以外の分野にも意欲的に挑戦。1957年、パリで狂言初の海外公演に出演。以降、ワシントン大学客員教授就任をはじめ、世界各地をまわり、狂言を広める。紫綬褒章や芸術祭大賞など受賞多数。2007年に人間国宝、2008年に練馬区名誉区民に認定される。2011年、練馬文化センター名誉館長就任。80歳を越えた今も、精力的に舞台をこなしている。練馬で好きな場所は、セリフを覚えるのに出かける石神井公園。12歳になるジュリという名の猫を飼っている。

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