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#075 峰崎部屋親方・おかみさん
峰崎修豪さん・婦記子さん

辞めるか、強くなるか…
元いじめられっ子が変わる瞬間


 現役時代のしこ名は、三杉磯。70〜80年代に活躍、西前頭2枚目まで出世した美男力士が引退後、部屋の設立に選んだ土地が練馬でした。区内唯一の相撲部屋「峰崎部屋」は、2013年で25周年を迎えます。

親方「部屋の場所を探していたとき、知人が下赤塚にいて、騒音を考えたら自然が多いここがいいだろうと、お世話してくれました」

 そう語る親方は、現在56歳。すらりとした体躯と精悍な顔立ちに、貫禄が漂います。でも意外なことに、少年時代は大人しくていじめられっ子だったそう!

親方「14歳で弟ができるまで一人っ子だったせいかな? 負けず嫌いの本質が出てきたのは、この世界に入ってからだね」

 とはいえ、187cmの長身は当時から目を引き、中学生の相撲大会に出場し、何人もスカウトが来ました。逃げ回ったものの、母方の叔母の知人の花籠部屋OBから上げ膳据え膳の待遇を受け、「飛行機に乗せてあげる」との甘言がトドメに。「うまいもんが食えて、お金が入る」と幸せな生活を夢見た15歳の少年を待っていたものは…。

親方「毎日軍隊みたいにブン殴られて、最初の3年半は地獄でしたよ(笑)。土俵の外では歯向かえないかわりに稽古でぶつかって、それでまたやられて…いたちごっこでしたねえ」

 親が恋しいと思う暇もない頃、故郷の両親は息子が強くなるようにと、毎日欠かさずお参りへ。その祈りが通じたのか、「親孝行しよう!」と一念発起したのは、18歳のことでした。

親方「やめるか強くなるかの二択で、『やる!』と本気になった。それからは、狂ったように稽古しましたよ。朝の3時に起きて、寝る時間も惜しんで。おかげで、2年で十両になれました。ただなんとなく続けていても、ダメなんですよ」



弟子育ては、子育てと同じ
抱きしめたいほど愛おしい 


 過酷な現役生活を支えてくれたのが、おかみさんとの出会いでした。女子大の相撲研究会に所属していた“相撲ガール”で、なんと三杉磯の大ファン!

おかみさん「意中の人と結婚できたわけですけど、ちょっと間違ったかなあ、なんて思うことも(笑)。家族だけで正月旅行さえできませんから。普通では経験できないことができて、楽しいんですけどね」 

 話し上手で明るいおかみさんが、質実剛健な親方をフォローして…見るからに美男美女の素敵なご夫婦! 夫婦円満の秘訣とは?

おかみさん「同じ方向を向くことかしらね。でも毎日、部屋のことでケンカばっかりなのよ(笑)。部屋の運営は、24時間ですからね」

 一時は3人まで減った峰崎部屋も、花籠部屋との合併で力士も14名に急増。9月場所には荒鷲関の十両昇進で、待望の初関取が誕生しました!

親方「親方って、いわばマネージャーなんです。親御さんから預かる身として、どこに行っても何かあったらいけないと思っています」

おかみさん「『我が子だと思え』と言われたけど、昔はわからなかったんですよ。部屋ができた当時、まだ30歳でしたから。でも自分の子が成人した今は、弟子たちが頑張っている姿を見ると抱きしめたいくらい愛おしい。一応、なでる位で我慢してますけど(笑)」 

 お二人から、弟子たちへの溢れんばかりの愛情が伝わってきます。

親方「毎日怒らなきゃいけない。でもその分、伝わったことがわかると嬉しい。十分の一でも伝わればいいんだよ」

 取材の最中も、挨拶から片付けまであれこれ指示を飛ばしていた親方。若い力士たちがこれからどんな風に成長していくのか。区内唯一の相撲部屋、今後も応援しています!

(2012年12月28日)

稽古は毎朝6時から10時まで。
「諦めない相撲をとれ」と親方


「新弟子をとる時は、親も見る。
親の顔を見たらヤル気が
わかります」(親方)


土俵の壁にかかる、しこ名


ホームページから
応募してきた新弟子3人。
相撲教習所の課程を修了!
(写真提供:峰崎部屋)


秋の遠足でパチリ。
お弟子さんたちの様子が
ホームページ
公開されています
(写真提供:峰崎部屋)


ちゃんこ作りの様子。
取材時もおいしい匂いが
漂っていました


稽古のあとの土俵


大相撲の審判も務める親方。
「ひどい相撲を取った力士に
指導することもある」と
厳しい姿勢のなかに、
“相撲愛”も伝わってきました


住宅や畑に囲まれた
田柄にある峰崎部屋

プロフィール

峰崎修豪さん・婦記子さん

峰崎修豪さん・婦記子さん


峰崎修豪さん
1956年生まれ、青森県八戸市出身。中学2年時にスカウトされ、花籠部屋へ入門。15歳で初土俵、20歳で十両昇進、21歳で入幕と、順調に出世。23歳の時には、北の湖と三重ノ海から2日連続で金星を獲得した。角界きっての美男力士としても人気を集めたが、31歳で引退。翌年、所属していた放駒部屋から独立し、峰崎部屋を設立した。相撲協会では、長く巡業部で営業活動をしていたが、現在は審判部・指導普及部に所属。「審判の経験がないので、最初は朝6時に行っていた」という程の努力家。練馬で好きな場所は光が丘公園。毎朝4時30分に起きて、ウォーキングに出かけている。

婦記子さん
青森県つがる市生まれ。日本女子大学では相撲研究会に所属。1982年に親方と結婚。6歳違いの2人の男児に恵まれる。現在はおかみさん業にまい進中。場所中は弟子全員の取組をiPhoneで手撮りし、You Tubeにアップしている。「大変な作業だけど、親御さんも喜びますしね」と笑顔で語る。

大相撲峰崎部屋
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