特集記事 Reviews
#048 浅間神社総代
須藤 一彦さん
昔の人に思いを馳せて
江古田の富士塚に登拝!
江古田駅北口のすぐ目の前にある浅間神社。その背部にこんもりと木々で覆われた小高い部分が「江古田の富士塚」。ご存知でしたか。通常は柵に鍵をかけられているので自由に入ることはできません。チャンスは年に3回。元旦、富士山の山開き(7月1日)、そして例大祭の行われる9月第2土日曜に入山解放されるんですよ。
それなら! と物見遊山で登るのもいいけれど、富士塚や浅間神社の歴史なども知っていた方がもっと深く楽しめるのでは…。ということで、浅間神社総代を務める須藤一彦さんを訪ねました。
「浅間神社は、旭丘一丁目町会、旭丘二丁目町会、旭丘東町会の3つの町会で支えています。世話人はそれぞれの町会から派遣され、現在は20名。総代は19名。その上に副総代長、総代長がいます。富士塚の入山前には私たちで清掃を行います」
宮司さんは常駐しておらず、浅間神社は町会に支えられていたのですね。
「本殿の創建は不詳ですが、800年代(平安時代)だったと推測されています。御祭神はこのはなさくや姫命、富士山の噴火を沈める神が祀られています」
浅間神社は日本各地に約1300社が鎮座し、中でも静岡県、山梨県に集中しています。その数からも富士信仰の深さ、富士山噴火の脅威などを感じずにはいられません。
「江古田の富士塚ができたのは、江戸時代の終わり頃と言われています。富士講という、富士山を信仰する集団がお金を貯めて交替で富士山に登拝しました。選ばれなかった講員も、富士塚に登拝することで、実際の富士参りしたのと同じご利益があるとされたんです」
関東大震災で倒壊するも、翌年には修復工事が行われ現在の形に。それだけ信仰心が厚かったという現れですね。
高さ約8m、直径約30m、子どもでも楽に登れます。ジグザクの登山道に1合目、2合目…と標され、大天狗、烏天狗、神猿などの石像も、なんだか愛らしい雰囲気。
「土で盛られた塚の表面全体は、本物の富士山の溶岩で覆われています。富士講の人たちが持ち帰ったのですが、よくぞこんな大きなものを…と感心します。大変だったでしょうねえ」
時代とともに移りゆくもの
変わらないもの
優しい口調で、さらさらと歴史を絡めたお話をしてくださる須藤さん。そして仕事柄よく歩くというだけあって、とてもスリム! やはり趣味でも歴史と歩くことがお好きなようです。
「総代になってまだ2年位ですが、歴史が好きなものでね。練馬稲門会の歴史ハイキング会の会長を務めています。正月には都内の七福神巡り、秋は歴史にちなんだハイキングと、年に2回実施しています。30~40名の参加者と一緒に午前中に歩いて、昼から飲み会になります。だんだん高齢になって途中電車に乗る人もいますが(笑)、それでもいいです」
共通の趣味を持ったお仲間と語り合いながら歩く…、健康的ですね。今年72歳になる年男とお聞きしてビックリ! 若々しいです。
「高齢と言えば、町会の方も高齢化が進んできました。若い人に代が替わっていくと、祭りに対する思い入れも違うんですね。私たちは祭りの日のことだから、無理してでもみんなで協力しようって気持ちなんですが。秋の例大祭で毎年、子ども神輿と山車が商店街を練り歩くんですが、今年は神酒所を設置してくれていたお店の都合で実施できなくなってしまいました」
神輿は浅間神社の倉庫で、秋の例大祭を待ちわびているのですが、今年は社殿の前に飾るだけ。時代の変遷とはいえちょっと寂しいですね。「孫が神輿に参加するのを楽しみにしていたのになあ」と残念そうにつぶやく須藤さん。それでも、境内では露店の飲食やゲームもあるし…、大人も子どもも出かけて「やあやあ、元気?」と地元の交流がこの先もずっと続いていきますように!
江古田の富士塚
国指定重要有形民俗文化財
練馬区登録有形民俗文化財
江古田の富士塚に登拝!
江古田駅北口のすぐ目の前にある浅間神社。その背部にこんもりと木々で覆われた小高い部分が「江古田の富士塚」。ご存知でしたか。通常は柵に鍵をかけられているので自由に入ることはできません。チャンスは年に3回。元旦、富士山の山開き(7月1日)、そして例大祭の行われる9月第2土日曜に入山解放されるんですよ。
それなら! と物見遊山で登るのもいいけれど、富士塚や浅間神社の歴史なども知っていた方がもっと深く楽しめるのでは…。ということで、浅間神社総代を務める須藤一彦さんを訪ねました。
「浅間神社は、旭丘一丁目町会、旭丘二丁目町会、旭丘東町会の3つの町会で支えています。世話人はそれぞれの町会から派遣され、現在は20名。総代は19名。その上に副総代長、総代長がいます。富士塚の入山前には私たちで清掃を行います」
宮司さんは常駐しておらず、浅間神社は町会に支えられていたのですね。
「本殿の創建は不詳ですが、800年代(平安時代)だったと推測されています。御祭神はこのはなさくや姫命、富士山の噴火を沈める神が祀られています」
浅間神社は日本各地に約1300社が鎮座し、中でも静岡県、山梨県に集中しています。その数からも富士信仰の深さ、富士山噴火の脅威などを感じずにはいられません。
「江古田の富士塚ができたのは、江戸時代の終わり頃と言われています。富士講という、富士山を信仰する集団がお金を貯めて交替で富士山に登拝しました。選ばれなかった講員も、富士塚に登拝することで、実際の富士参りしたのと同じご利益があるとされたんです」
関東大震災で倒壊するも、翌年には修復工事が行われ現在の形に。それだけ信仰心が厚かったという現れですね。
高さ約8m、直径約30m、子どもでも楽に登れます。ジグザクの登山道に1合目、2合目…と標され、大天狗、烏天狗、神猿などの石像も、なんだか愛らしい雰囲気。
「土で盛られた塚の表面全体は、本物の富士山の溶岩で覆われています。富士講の人たちが持ち帰ったのですが、よくぞこんな大きなものを…と感心します。大変だったでしょうねえ」
時代とともに移りゆくもの
変わらないもの
優しい口調で、さらさらと歴史を絡めたお話をしてくださる須藤さん。そして仕事柄よく歩くというだけあって、とてもスリム! やはり趣味でも歴史と歩くことがお好きなようです。
「総代になってまだ2年位ですが、歴史が好きなものでね。練馬稲門会の歴史ハイキング会の会長を務めています。正月には都内の七福神巡り、秋は歴史にちなんだハイキングと、年に2回実施しています。30~40名の参加者と一緒に午前中に歩いて、昼から飲み会になります。だんだん高齢になって途中電車に乗る人もいますが(笑)、それでもいいです」
共通の趣味を持ったお仲間と語り合いながら歩く…、健康的ですね。今年72歳になる年男とお聞きしてビックリ! 若々しいです。
「高齢と言えば、町会の方も高齢化が進んできました。若い人に代が替わっていくと、祭りに対する思い入れも違うんですね。私たちは祭りの日のことだから、無理してでもみんなで協力しようって気持ちなんですが。秋の例大祭で毎年、子ども神輿と山車が商店街を練り歩くんですが、今年は神酒所を設置してくれていたお店の都合で実施できなくなってしまいました」
神輿は浅間神社の倉庫で、秋の例大祭を待ちわびているのですが、今年は社殿の前に飾るだけ。時代の変遷とはいえちょっと寂しいですね。「孫が神輿に参加するのを楽しみにしていたのになあ」と残念そうにつぶやく須藤さん。それでも、境内では露店の飲食やゲームもあるし…、大人も子どもも出かけて「やあやあ、元気?」と地元の交流がこの先もずっと続いていきますように!
江古田の富士塚
国指定重要有形民俗文化財
練馬区登録有形民俗文化財
(2010年9月1日更新)
浅間神社の通称は
「茅原浅間神社」。
「果てもなき武蔵野の茅原に
富士ばかりこそ山ぞ見えけり」
と、石碑に彫られています。
社殿後部には登山口があります。
鳥居の手前には柵があり、
普段は鍵がかけられています
「木の葉や枝などが
散らかっているので
入山前には私たち総代や
世話人たちで
清掃を行っています」
江古田の富士塚は、
下練馬村・中新井村・中村の各講に
より構成された「小竹丸祓講
(こたけまるはらいこう)」によって、
天保10年(1839年)に
築かれたと言われています。
通称は「江古田富士」
頂上には鳥居と奥宮があります。
頂上からの風景も楽しんで、
お帰りは別ルートでどうぞ
浅間神社の境内。
例大祭では露店などで賑わい、
大勢の人が集まります
須藤さんはお仕事も現役。
趣味の歴史とウォーキングで
多くの人と交流し、
総代として地域に貢献されています