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生涯現役! 練馬を元気にする人生の大先輩たち 画像

ライター:協同クリエイティブ さん コラム

生涯現役! 練馬を元気にする人生の大先輩たち


80歳を過ぎてもなお、毎日をいきいきと楽しむ人生の大先輩たち。真摯な思いは言葉や行動となって現れ、それぞれの生き方にはヒントがいっぱい! その姿を見ているだけで元気が湧いてくるような、練馬区に住む3人の素敵な大先輩にお話を伺ってきました。

【目次】
1.Twitterで人生が変わった⁉︎ 毎日を楽しく「今」を大切に生きる
  【大崎博子さん(89歳)】
2.生きがいは地域のボランティア活動! 高齢者の活力が街を元気にする
  【小山謙一さん(80歳)】
3.テーラー店主の元気の源は、仕事で「人に喜んでもらうこと!」
  【丹羽亮三さん(90歳)】

★Twitterで人生が変わった⁉ 毎日を楽しく「今」を大切に生きる

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【プロフィール】
大崎 博子(おおさき ひろこ)さん 1932(昭和7)年生まれの89歳。2011年3月から始めたTwitterのフォロワー数は現在16.7万人超。高齢者のインフルエンサーとして自らを「高貴香麗者」と呼び、ひとり暮らしを満喫中。

フォロワー16万人超えのインフルエンサー

2011年3月、イギリスに住む娘さんのすすめでTwitterを始めた大崎さん。初めは何が面白いのかさっぱりわからなかったそうですが、その数日後、東日本大震災が起きました。多くの連絡手段が不通となるなか、影響を受けなかったTwitterの力を実感し、原発や国内の状況に対して湧き上がる思いをつぶやき始めると…あれよあれよという間にフォロワーが激増!


その後も、日常のささいな出来事から戦争体験まで日々発信するツイートが幅広い層の支持を得て、今では16.7万人超のフォロワーをもつインフルエンサーに。2022年2月には、ついに本を出版するまでに至りました。


「Twitterのおかげで、たくさんの人とつながって世界が広がって…。毎日すごく楽しいわよ!」と、スマートフォン片手に大崎さんはニッコリ♪

元気に楽しく生きるためには「健康第一」

元気に楽しく生きるためには「健康第一」 画像

太極拳を始めて7年。姿勢の良さが自慢です!


今でこそ、ひとりで気ままに毎日を楽しんでいる大崎さんですが、長い人生の中では苦労した経験も…。


「娘が小さい頃に離婚したからシングルマザーとして子育てしてきたし、胃がんを患って手術もしたし、いろいろ大変なことはあったけど、何とかなると思って乗り越えてきたわね。でも、過去のことは思い出だから振り返らない。だって今がいちばん幸せだから」


その幸せな生活のために心がけているのは“健康でいること”。
雨の日以外は毎朝、石神井公園まで往復8,000歩の散歩を欠かさず、20名ほどの仲間と一緒に太極拳に励んでいます。


「高齢者は1日で用事を済ませないの。今日は銀行に行って、明日は郵便局に行く。そうやって用事を作ると、毎日誰かと会えるでしょ。家にこもらず、外に出て人と交流することが大切なのよ」


毎日の運動と仲間とのおしゃべり、そして1日に5〜6回、多い時は10回以上も発信しているTwitterが、大崎さんの元気の源なんですね!

何にでもチャレンジ! 年齢を理由に諦めない

何にでもチャレンジ! 年齢を理由に諦めない 画像

パソコン、タブレット、ノートパソコンを使いこなす大崎さん


若い時から好奇心旺盛だったという大崎さん。「興味をもったら、まずはやってみる」というチャレンジ精神は、年齢を重ねても衰えることはありません。78歳でパソコン教室、83歳で健康麻雀に通い始め、韓国ドラマが面白いと聞けばネットフリックスに登録して自力で設定。


「年齢を理由に諦めるなんてもったいない。何にでも挑戦してみないとね」と、茶目っ気たっぷりに語る大崎さんは、諦める思い切りの良さも大事だと言います。


「向いていないと思ったらスパっと諦めてもいいのよ。チャレンジすることに意味があるんだから。やってみなきゃ、向いているか向いてないかもわからないでしょ」

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部屋には季節の花が活けられ、丁寧に暮らしている様子がうかがえます


お気に入りのインテリアに囲まれた部屋は隅々まで整えられ、大好きな晩酌のために手早く食事を準備する…。大崎さんの暮らしの中には、自分をご機嫌にするためのヒントがたくさん! ぜひ大崎さんのTwitterをチェックして、人生を楽しく生きるためのヒントを探してみてください。

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著書にサインする大崎さん。喜びと愛を忘れないようにという思いを込めた造語「喜愛(きあい)」を必ず書くのだそう


大崎博子さんのTwitter https://twitter.com/hiroloosaki

★生きがいは地域のボランティア活動! 高齢者の活力が街を元気にする

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【プロフィール】
小山謙一(こやまけんいち)さん 1941(昭和16)年生まれの80歳。「光が丘ボランティアの会」、光が丘のシルバークラブ「白雪会」の代表として、光が丘エリアを中心に高齢者を元気にするため精力的に活動中。

どんな相談も絶対断らない

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書類の書き方がわからないという相談者に親身に対応する小山さん


かつて電気の訪問点検の仕事をしていた小山さんは、ある時、足が悪くて家の奥では来客対応ができないからと玄関先で寝起きしている老人に出会いました。その衝撃的な光景が忘れられず、定年後に一念発起! 「困っていたら連絡を」と自身の携帯番号を記載したチラシを100枚作り、妻と母と一緒に団地のポストに配ったのが、活動の第一歩でした。


それから15年。小山さんが会長となって立ち上げた「光が丘ボランティアの会」は、今や会員400人を擁する団体に。電球の付け替えや行政に提出する申請書類の書き方など、月に30~60件の相談が寄せられるそうですが、どんな困りごとも絶対断らないというのが小山さんのポリシー。特にコロナ禍では、ワクチン接種の予約方法がわからないという相談が多く、これまでに300人以上の予約をサポートしてきたと言います。


「高齢者が高齢者の相談に乗るから安心なんじゃないかな?同じ立場の人だと相談しやすいからね」


15年にわたる活動を通して、区役所や警察署などの公的機関、病院や薬局との強力なネットワークが構築されているため、相談内容によっては適切な窓口につなげることも多いそう。小山さんの「困っている人を助けたい」という純粋な気持ちには、地域をも動かす力があるようです。

いつ誰が来ても参加できる場所を作っておく

いつ誰が来ても参加できる場所を作っておく 画像

手作りの「瓦版」にはイベントの予定が満載!


光が丘ボランティアの会では月に2回、「瓦版」を6,000部発行しています。そこには、映画鑑賞会、料理教室、スマホ教室、講演会、住宅相談会など、さまざまなイベントの予定がぎっしり!


「外に出るきっかけを作らないと心身共に衰えちゃうからね。いつ誰が来ても参加できるように、メンバーみんなで企画を相談して決めているんですよ」と小山さん。


毎朝7時に光が丘のファストフード店に次々と高齢者が集合。その数およそ20人。ちょっとオシャレをしてくるというドレスコードで、お茶を飲みながらおしゃべりを楽しみます。そのあとは8時半から、悪天候の日を除いて光が丘団地周辺の清掃を行うのが日課となっています。


「一番の楽しみは、年に6回以上企画している温泉旅行にみんなで行くこと」

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スマホ教室の様子

人生は最後に楽しければいい!

人生は最後に楽しければいい! 画像

朝活の清掃に励む小山さんとメンバーの皆さん


常に明るく軽快で愉快なトークを繰り出し、いつも周りにたくさんの人の笑顔があふれている小山さん。


「過去にどんな苦労をしたとしても、最後が楽しければいい」と笑います。小山さんやメンバーの皆さんの生き生きとした様子は、まるで青春を謳歌している若者のよう!


その一方で、「いちばん大切なのは“諦めないこと”。失敗するのは当たり前。でも、それで諦めない。1人でも活動は続けると決めています」という意志の強さも。


「高齢者が元気でいると、若い人も元気づけられて街も元気になるからね」と、今日も朝から活動スタート!

★テーラー店主の元気の源は、仕事で「人に喜んでもらうこと!」

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【プロフィール】
丹羽亮三(たんぱりょうぞう)さん 1931(昭和6)年生まれの90歳。百貨店に就職し、1970年に練馬区関町で「マルタ洋服店」を独立開業。定休日以外休むことなく50年以上に渡り営業している。

18歳で富山から東京へ。40歳で夢の開業!

18歳で富山から東京へ。40歳で夢の開業! 画像

マルタ洋服店の外観


関町で洋服店を営む丹羽さんは、富山県高岡市出身です。
「上京したのは昭和24年3月1日。今でもはっきり覚えているよ。就職のために高校の卒業式にも出ないで、東京に来ちゃった」


今から70年以上前のことを、昨日のことのように語る丹羽さん。
創業者が同郷というつながりで、都内の百貨店に就職しました。その頃から、「いつかは自分の店を持つ!」という熱い夢を持っていたそう。


百貨店で一番長く担当したのが紳士服。採寸から発注、縫製工程、取引先とのやり取り、販売の方法まで商売の流れを学び、40歳で練馬区関町にマルタ洋服店を開業しました。

地域で生き残った最後のテーラー、決め手は営業!

地域で生き残った最後のテーラー、決め手は営業! 画像

良質な生地が並ぶ店内


開業時、関町・上石神井エリアには13軒のテーラーがありましたが、時代の流れとともに姿を消していき、現在ではマルタ洋服店1軒だけに。


営業出身のテーラー店主は、業界では少数派。採寸やスタイル決めまでは丹羽さんが行い、縫製は職人さんが担当。専属の職人を抱えていた時期もありますが、現在は縫製会社へ依頼し、1か月ほどでスーツが出来上がるそうです。


「店でお客さんを待っているのではなく、注文を取ることを中心にやってきたから生き残れたんじゃないかな」と振り返ります。


「スーツが売れない時期でも、『一年中スーツを着ているところはどこだ?』と考えるんですよ。そうだ、都庁や区役所、銀行だ!!  と生地を車に積めこんで、東京じゅうを走り回りました」


交渉して、売店の横に出店させてもらっても、1件も売れない日もあったそう。
「今度は『買いやすくするためにどうすればよいか?』と考えてね、個人店としてはいち早く、分割払いの販売方法を取り入れました。お客さんから『支払いがしやすいので助かる』と、喜ばれましたね」


この営業スタイルは、免許を返納した88歳のつい最近まで、続けてこられたというから驚きです。

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丹羽さんがパソコンで作った手配りチラシ


出張販売をやめた今でも、散歩などプライベートな時間に自作したチラシをポスティングしているのだとか。「デジタルは苦手だよ」と言いながら、Twitterなどでもお店のことを発信しています。


好奇心いっぱいの子どものように商売について語り、そのアイデアと行動力で、半世紀以上もの間、お店を守ってこられたのだと納得しました。

人が喜んでくれるから長く続けられる

人が喜んでくれるから長く続けられる 画像

掃除の行き届いた店先に立つ丹羽さん


マルタ洋服店の営業時間は朝9時~夜7時。一時期は夜9時まで営業していたことも。働く男性相手の商売なので、お店に来やすいようにと定休日は月2回の日曜日だけ。


過去には出張営業もして休みなく働いていたそうですが、「やめたいと思ったことは一度もない」と丹羽さんは言います。


「体にスパっと合うスーツは、お客様も私も気持ちがいいものです。やっぱり人に喜んでもらえるのが一番嬉しいね。それが長く続ける理由だよ。もちろん、生活のためでもあるけどね」

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丹羽さん(左)と奥様の登代美さん(右)。洋服のお直しは奥様が担当。馴れ初めは、親が決めた同郷の許嫁(いいなずけ)。札所めぐりの旅行が二人の楽しみ


お店は現在、ご夫妻で切り盛りしています。
「ケンカはしたことがないの。私が何を言っても、お父さん(夫)が優しいから吸収してくれちゃうんですよ」と奥様。それをニコニコと聞いている丹羽さん、お二人の仲睦まじい様子が垣間見えました。


今日も明日も店に立ち、気負うことなく仕事を続けていく丹羽さん。元気の源は、いたってシンプル! 「人に喜んでもらう」という、やりがいなんですね。