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ねりま人 #126 KITEさん(プロダンサー) 画像

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ねりま人 #126 KITEさん(プロダンサー)


プロフィール/ KITE(カイト)、本名は政井海人(まさいかいと)、1983年生まれ。ダンサー、ダンスインストラクター。3歳まで米ヒューストンで育つ。帰国後は練馬区在住。大学を中退し、本格的にダンスの世界へ。独身時代は品川などに住んでいたが、2014年、プロダンサーのMAIKOさんとの結婚をきっかけに子育てをしやすい練馬に戻る。好きな場所は、よく遊んだ「としまえん」と、少年野球の思い出が詰まった練馬総合運動場公園の野球場。出身校の駒大高校野球部OBの中畑清さんが教えてくれた「根心」と、母の言葉「夢は大空に、努力は足元に」が座右の銘。

高校生までは白球を追いかける野球少年、そこからトップダンサーへ。13年連続で様々なダンスの大会で優勝し続けているというKITEさんの登場です。大好きだったテレビ番組に自分が出る! 憧れていたタレントと共演する! という夢のような話が実現。ダンスを核とした話を熱く語ってくれました。

仲間と遊び感覚で始めたダンスが、いつしか仕事に。世界大会13年連続優勝!

仲間と遊び感覚で始めたダンスが、いつしか仕事に。世界大会13年連続優勝! 画像

〈写真〉オランダで行われた「Summer Dance Forever」

経歴の一部を紹介すると、世界大会で2006年以降13年連続優勝を更新。きゃりーぱみゅぱみゅ、三代目 J SOUL BROTHERSなどの有名アーティストをはじめ、CMや舞台の振り付け・演出、ダンサーなどとして出演。また、日中、日韓、日露のミュージカルの合同ダンス公演にダンサーとして出演、日米のダンス公演では、総合振り付けまで任されて出演しています。

さらに、世界的に権威のあるダンス大会の審査員の資格試験に首席で合格し、2名しか枠のない決勝のメインジャッジに選ばれました(既決2名の計4名)。これは日本人初の快挙であり、とても名誉なこと! 各国でバトル戦歴が豊富であり、かつ英語力もあるKITEさんだからこそ取得することができたのではないでしょうか。海外から大会の審査員の依頼も舞い込むようになりました。

2017年に合同会社アボガドゥ(A Boog & Do,LLC)を設立。ちなみに社名にあるBoog(ブーグ)とは、POPというジャンルのなかのKITEさんが得意とするダンススタイルのこと。「Boogのスタイルを忘れずにいろんなことに挑戦していきたい」という意味が込められているそう。

Boogをひとことで言うとロボットダンスのような感じですが、KITEさんの踊る姿は、筋肉や関節、血液や細胞までも自在に操っているかのようで、キレがあって軽やか。 極め付きは笑顔。見る人を「楽しい」「もっと見たい」と思わせる魅力があります。

兄の背中を追いかけて野球少年に。肩の故障からダンスに転身

兄の背中を追いかけて野球少年に。肩の故障からダンスに転身 画像

「ダンスを始める前は、野球一筋。2つ上の兄を追いかけるように野球を始め、小学生の時は少年野球団の主将でした。区の代表チームにも選抜され、海外遠征も経験。中学、高校でも野球部に入部し、プロ野球選手を目指していましたが、肩の故障で断念しました」

大学受験のため、春日町青少年館の多目的室で受験勉強に明け暮れる日々。たまにダンス好きの友人と見よう見まねで踊っているところを、母親が見ていたようで…。

「受験のストレス発散になれば…という軽い気持ちだったんでしょう。母がたまたま区報で見つけて、『春日町青少年館でダンスのワークショップがあるわよ』と、勧めてくれたんです。その講師が、当時、TRFのSAMさんがやっていた『RAVE2001』というダンス番組に出演していたダンサーの NAMIさんでした。これはもう、行くしかない!と参加しました」

「ワークショップの成果を披露する『青少年館まつり』でダンスイベントがあり、先生が『前で踊れる人は?』と言った時に、真っ先に手を挙げ、最前列で踊りました。性格的に“おちゃらけキャラ”なので、恥ずかしいという気持ちはなく、新鮮でワクワクして楽しかった。今思えば、これが僕のダンスの原点じゃないかな」

SMAPのライブに飛び入りするため、ダンスに挑戦する岡村さんの姿をテレビで観て、「カッコいい!」と思っていたKITEさん。それから20年。岡村さんが同番組で三浦大知さんのダンスに挑戦する回では、ダンスを教える側のひとりとしてKITEさんが番組に出演! ご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。

「ダンスで一番初めに影響を受けた人たちと一緒に、好きな番組に出ているなんて! もう夢のようでした」

大学を辞めるか、ダンスで全国ツアーに出るか

大学を辞めるか、ダンスで全国ツアーに出るか 画像

大学在学中も、ダンスを続けていたというKITEさん。練習場所は、新宿西口の高層ビルの一角。当時、ストリートダンサーのメッカと呼ばれる場所で、夜はビルのガラスが鏡代わりになりました。

「バイトが終わったあと、夜の11時から朝の5時まで練習し、家に帰ってシャワーを浴びて大学へ行く。大学では、ほぼ寝ていましたが(笑)。練馬駅前の歩道橋や練馬文化センターの前でも練習していましたよ。最初からダンサーになる!と思っていたわけではなく、みんなと集まって遊び感覚で楽しいからダンスをやっていたという方が大きいですね。その流れで、3人のチームで活動していくうちに、仕事をもらえるようになりました」

人気グループ、DA PUMPが司会をするダンスバラエティ番組「少年チャンプル」(日本テレビ系)に出演、一躍有名に。また、上石神井ろう学校(2007年閉校)のダンス部の先生から依頼を受けて、生徒たちに教えに通っていた時期もありました。聴覚障害がある方にダンスを教えるのは難しそうですが、音楽のリズムは振動で伝わり、低音は認識できるケースも多いそう。手話やハンドサインで教えながらKITEさんが感じたのは、「教えることが好き」ということでした。

「アーティストのBENNIE Kさんから全国ツアーのバックダンサーをやってほしいという声がかかって。それは大きい仕事でした。ちょうど大学4年の卒論のタイミング。正直、ダンサーよりも学校の先生になりたかったんです。でも、チームのメンバー2人から『ダンサーとして一発当てたい。このチャンスを逃したらもうない。KITE、一緒にやってくれないか』と誘われました」

それならばと、KITEさんは大学の校長に事情を話し「休学したい」と掛け合いましたが、今よりダンスの認知度が低い時代、首を縦に振ってはくれませんでした。でも、仲間2人の人生がかかっていることを考え、大学はいつでも入り直せると、退学を決意。

プロ入りのきっかけとなった父の厳しい一言

プロ入りのきっかけとなった父の厳しい一言 画像

「大学を辞めてダンサーとしてやっていきたい」と、KITEさんが両親に伝えると…。

「猛反対にあいました。とくに母からは『一体何を考えているの、将来どうするの』と質問攻めでした」

自分の気持ちを言葉にして、何度も粘り強く話し合い、最終的には熱意を汲んで許してくれました。バックダンサーとしてBENNIE Kさんの全国ツアーに参加した直後、初めて挑戦した海外のダンス大会で、いきなり優勝!

「うれしくて、ようやく親に顔向けができると思って報告したら、父が開口一番、『新聞に載っていないよね。みんなが知って初めてプロとして通用するものではないのか』と厳しいひと言。負けず嫌いだったので、もう本当に悔しくて悔しくて。父を見返したくて、必死になって練習に打ち込みました。もっとも父は、僕が褒められるとすぐ調子にのるタイプだとわかっていて、厳しく接したのかもしれません。とにかく、父のおかげでここまでこれたのだと思います」

お父さんは、KITEさんが掲載された雑誌の小さな記事まで、丁寧に切り抜いて保存していました。そのことを後から知って、KITEさんはとても嬉しかったそうです。

「仕事の幅が広がってきた時、『社会的に認められるためには会社にした方がいい』と、助言してくれたのも父です。合同会社アボガドゥは、父が社長として協力してくれています」

今では、心から応援してくれる理解者となったご両親です。

不安・緊張・失敗を繰り返したから話せる、メンタルの鍛え方

不安・緊張・失敗を繰り返したから話せる、メンタルの鍛え方 画像

KITEさんが、いま積極的に取り組んでいるのが講演活動です。

「世界大会で13年連続優勝というと、負けがないように思うかもしれませんが、言わないだけ。これまで優に1000回は超えるコンテストにトライし、悔しい思いをしてきました。不安と緊張から頭が真っ白になってダンスが飛んでしまうこともありました。でも失敗した経験から学ぶことは多く、自分なりに戦う時のメンタルのコントロールの仕方がわかりました。講演ではこうした経験を踏まえ、世界を見据えた戦略論をビジネスマンなどに話しています」

最近、好評だったのが、シルバー世代を対象にした脳の活性化についての講演。例えば、サザエさんのエンディングテーマ曲を用いて、音を聴いて、合わせて手をたたくなど、楽しみながら脳の活性化や記憶力の強化ができるというもの。実際、インタビュー中に再現してもらいましたが、KITEさんのトークも面白く、講演会での笑い声が聞こえてきそうでした。

年齢で諦めることはしたくない。挑戦し続ける理由

年齢で諦めることはしたくない。挑戦し続ける理由 画像

仕事が増え、名誉ある審査員の資格まで取得し、今もなお世界大会に挑戦し続ける理由をお聞きしました。

「現在36歳。年齢的にこれから身体機能やスタミナが下がっていきます。世界大会に挑戦するためには、自分の限界を超えたトレーニングをしなければ戦えません。家庭を持つと大会に出ることは簡単ではないし、大会が終われば体はボロボロになります。それでも、勝負できるものがないと人生はつまらない。常にプレーヤーでい続けたいし、年齢で区切りたくはないんです」

KITEさんの、挑戦を止めないストイックな姿勢に感銘を受けました。

ダンスを通して「生きていく力」をつけてほしい

ダンスを通して「生きていく力」をつけてほしい 画像

今後の展望についてお聞きしました。

「アカデミーを作りたいです。ダンスを教える単なるダンススタジオではなく、世界で戦うためのメンタルや英語、食育など、たとえプロダンサーにならなくても、ここで学んだことを将来に生かしてもらいたい。ダンスを通して、人格を形成する場を作りたいと思っています」

今後の予定は、2020年2月16日に練馬文化センターで、KITEさんがクラスを受け持つ大泉学園のリミックスダンススクールの発表会があります。また、春日町青少年館のワークショップでダンスを教えてくれた先生と十数年ぶりに再会したことから、その先生の教室でも教えるようになったそう。こういう縁を大切にするKITEさんだからこそ、各方面から声がかかるのでしょうね。

現在は、FM戸塚で第4金曜日、ラジオ番組「ダンスの星」を担当。一般の人向けにダンスの紹介をしているそうですよ!
(10時~、14時~、19時~の3回放送)

学校の必修科目となったダンスは、キッズの間でもとても人気。地元での構想をお聞きすると、「練馬をダンスの町としても盛り上げたいですね」と力強く答えくれました。

合同会社アボガドゥ(練馬区練馬4-6-1)
HP:http://www.aboogadoo.com

取材日:2019年11月26日