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ねりま人 #124 萩原 一三さん(アート更鐵 親方)・萩原 光さん(アート更鐵 代表取締役) 画像

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ねりま人 #124 萩原 一三さん(アート更鐵 親方)・萩原 光さん(アート更鐵 代表取締役)


プロフィール/はぎわらいちぞう 昭和21年長野県佐久市生まれ。昭和39年高校卒業し簿記学校で学んだ後、現在地である豊玉南の「親和染色」の工房に入る。平成6年「親和染色」から「アート更鐵」に改称、同年3代目社長に就任。「アート」と名付けたのは当時、特に日本画家の作品を風呂敷に染めることが多かったため。平成28年より会長(親方)に。散歩が日課。好きな場所は、紅葉が特に美しい石神井公園。

はぎわらひかる 昭和57年練馬区豊玉南生まれ。平成20年大阪芸術大学卒、平成24年アート更鐵入社。平成26年より3年間京都で修業し、平成28年に戻り、4代目社長に就任。平成30年練馬区伝統工芸会入会。気分転換したい時は、学田公園から南蔵院、中村橋、練馬駅を周り、学田橋に戻ってくる散歩コースがお気に入り。


豊玉南の閑静な住宅街に、都内23区で唯一残る友禅手染めの風呂敷工房があることをご存知でしょうか。明治から続く創業113年のアート更鐵です。3代目萩原一三さん、4代目光さん親子にお話を聞いてきました。

日本画家の作品を風呂敷に

日本画家の作品を風呂敷に 画像

〈写真〉田崎廣助の絵画を図案にした風呂敷

風呂敷の語源は、風呂場で使う敷物であったから、など諸説あります。綿が一般庶民にも普及していく江戸時代になってから、風呂敷も広がりました。

「ふだん使いの綿の風呂敷と違い、絹の風呂敷は祝い事や贈り物をする時の装飾品、贅沢品の意味合いが濃く、染色技術の粋を集めています。図案は着物の"いいとこ取り"とも言われ、コレクターもいるほどなんですよ」

「生地の上に、紙に描かれた絵の良さをどれだけ崩さずに落とし込むことができるか。正確さでいうならば、インクジェットでプリントすればいいかもしれません。ですが、コピーでは出せない絵の雰囲気、色の発色があると思うのです」

そもそも風呂敷の生地(正絹ちりめん)は着物に比べて柔らかく、布目(布の織り目)を縦横ヨレないように合わせるのに苦労するそう。そんな中、絵柄によっては、ゆうに40枚を超える型紙を起こして染色することもあるそうです。

「たとえば、黄からブルーをさすのと、ブルーから黄をさす場合、『どちらが先でも同じ色では?』と思うかもしれませんが、くすみ具合が違う。ここが、こだわりであり、染色の面白いところなんです」

これまで手掛けた作品の数々を見せていただくと、風呂敷に染めたものとは思えない、まさに"アート"です。ホームページ(http://www.japan-somemono.net/)で紹介しているように、武者小路実篤、田崎廣助、伊東深水…と、高名な作家がずらり。彼らの文化勲章などの受章記念として依頼を受け、作家の絵を風呂敷にしてきました。

横綱や歌舞伎役者の風呂敷も

横綱や歌舞伎役者の風呂敷も 画像

〈写真〉白鵬が横綱になった時の記念の風呂敷(左)/林 武の絵画の勢いまで写し取った風呂敷(右)

昭和の流行語『巨人、大鵬、卵焼き』で知られる、元横綱・大鵬が使用した座布団をはじめ、元大関・魁傑の結婚式の引出物としての風呂敷なども手がけてきました。現役では白鵬が横綱になった時に風呂敷の依頼があり、記念の「化粧回し」と同じ絵柄を風呂敷に染めたそうです。

最近では、歌舞伎役者の2代目松本白鸚(はくおう)さん、10代目松本幸四郎さん、8代目市川染五郎さんの親子孫三代同時襲名披露で、蒔絵を施した風呂敷を3柄製作しました。この時は、初夏の暑い中、マスクにカッパ姿で生地に金粉を振る作業を行い、工房の中が金粉だらけになってしまったとか。

「私は見本作りと現場にも入りましたが、みんなに30分に1回は休憩するように指示して逃げちゃった(笑)」と一三さんが言えば、「暑さの中で集中力を切らさないように頑張った。あれは本当に忘れられない仕事です」と、光さんは苦笑い。

一三さんの妻、てる子さんは「おかげさまで一番前の良い席で、歌舞伎を観る機会をいただいて…」と、とてもうれしそうに話してくれました。三者三様、心に残る思い出のようです。

昔は田園地帯だった豊玉南

昔は田園地帯だった豊玉南 画像

〈写真〉使い込まれた刷毛(左)/型紙を使い、ハケボカシを入れる職人さん(右)

住居兼工房のある豊玉南、今は住宅地ですが移り住んできた頃は、「麦畑が広がっていました」と一三さんが振り返ります。

もとを辿ると、アート更鐵は明治43(1910)年、初代・鐵次郎さんが大島(江東区)で独立して創業しました。創業当時は更紗染の着物を専門としていましたが、2代目・一郎さんが糊を使う友禅染の技法を取り入れ、新規に風呂敷部門の売上を伸ばしていきました。そんな矢先、大正12年の関東大震災で工房が全焼。本郷(現在の中野区弥生町)へ移ります。その後、太平洋戦争で戦火に遭い、昭和23年に野方(中野区)へ。さらに、妙正寺川の氾濫を防ぐための河川工事により移転を余儀なくされ、昭和39年、東京オリンピックの年に引っ越してきました。

代々受け継ぐ、それぞれの思いと決意

代々受け継ぐ、それぞれの思いと決意 画像

〈写真〉4代目光さん(左)が語る姿を、頼もしく見守る3代目一三さん(右)

歴史のある家業ですが、跡を継ぐことに抵抗はなかったのでしょうか。

まず3代目であるお父さんの一三さんにお話をうかがいます。「妙正寺川の河川工事が、運命的でした」と振り返ります。ご自身が高校を卒業するタイミングで工房の移転があった頃の話です。

「私は三男ですが、長男は職人肌ではなく、はなから『家業は継がない』と言っていました。次男は、小学校の文集に『将来はお父さんの後を継いで染色をやります』と書くほどだったのですが、いざ大学を卒業すると、『海外に行くから、あとは一三に任せるぞ』と逃亡したんです(笑)」

こうして一三さんに白羽の矢が立ち、高校卒業と同時に、豊玉南の新工房へ入ることに。

「おやじも新工房を任すことのできる者が、一にも二にもほしかったようで喜んでいたと思います。いざ働き出すと、最初の1か月ぐらいは職人さんから仕事を教わりましたが、すぐに難しい色合わせを任されるようになりました。苦労や失敗の連続でしたが、それがかえって良かったのかもしれません」

一三さんの息子である、4代目の光さんが継いだ時はどんな思いだったのでしょうか。京都での3年の修業を経て戻り、社長に就任したのは平成28年、34歳の時でした。光さんが、しばらく言葉を選んでいると、一三さんは、父として、また、経営者として、当時の複雑な胸の内を打ち明けてくれました。

「本人から、『京都に修業に行きたい』と申し出のあった時は、行きたいなら行けばいい。帰ってきて、継ぐか継がないか、それはそれで本人が決めればいいと思って送り出しました。苦労することはわかっていますので、諸手を挙げて『継いでほしい』とは言えませんでしたね」

「そこは、いろいろありましたから、含みをもたせてください(笑)」という光さんですが、すでに覚悟が決まった今、表情は晴れやかです。

"23区で唯一"となった風呂敷染屋

"23区で唯一"となった風呂敷染屋 画像

〈写真〉長さ13mの4面張り手動回転台。1面の作業が終わると手動で次の面に変える(左)/色を定着させるための蒸し箱(右)

型紙友禅は、このような工程で作られています。

●図案・型紙作製
・図案を描く
・図案をもとに型紙を作る

●染色
・染料の色調合わせ
・張り板に白布を張り、型紙を使い色を重ねる(ハケボカシを入れる)
・スケージで色を総体につける

●洗い・乾燥
・張り板から布をはがし、蒸す
・水洗いで糊を落とす
・脱水、乾燥

最後に染め上がりを点検したら、裁断し端ミシンをかけて納品。特注品の場合、納品までにだいたい1か月半から2か月かかります。

すべて手作業、大変な手間暇ですね。戦後の最盛期は「野球チームを2つ作って試合ができるくらい」の職人と住込み従業員を抱えていた時期もあったそうですが、現在は5人。12、13年前から、23区内で唯一の友禅手染め風呂敷染屋となったアート更鐵が、生き残ることができたのはどういう理由だったのでしょうか。「自分の口でいうのはおこがましいけれど…」と、前置きした上で、一三さんがこう答えてくれました。

「型紙を使いながらも、ぼかしを入れ、手描きに近いものを、とにかく『いいものをこしらえよう』と今日までやってきました。大量生産ではなく、コツコツと丁寧にやり、不上がり(不良品、難物)の少ない工房だと認めてもらえた。ここだけは残さないといけないと、問屋が力を入れてくださったからだと思います」

これに加え、光さんが指摘するのは、用具の改良です。例えば「張り板」という作業台は、幅1m以上、長さ6m50cm、重さは40kg以上あります。昔はこの張り板を、布を乾かすために一人で外に運び出すという重労働が必要で、職人さんが腰を痛めたといいます。一三さん達は現在の場所に移転してすぐ、この張り板を4面張ることのできる手動の回転台を4台作製しました。さらに、ステンレス張りの個室サウナのような蒸し箱も作製。仕事がやりやすいように道具を作ることも、優れた職人の資質なのかもしれません。作業の負担が大幅に軽減されたことも、今日まで続くための大きな意味合いがあったようです。

海外展開や新たな分野に果敢に挑戦していく

海外展開や新たな分野に果敢に挑戦していく 画像

〈写真〉アルマーニから依頼された風呂敷。デザインも斬新です(左)/ブドウや葉脈まで生き生きと表現された型紙(右)

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〈写真〉一三さんの好きな風呂敷の一枚は、川島理一郎「ラン」の作品(左)/ボカシのこだわりなどとても繊細なものでした(右)

おふたりにモットーをお聞きすると、口を揃えて「仕事に追われるな。仕事を追え」と答えてくれました。

その言葉通り、光さんは、風呂敷にとどまらず、新しい分野の染色に挑んでいます。アルマーニから依頼された風呂敷、海外ファッションショーのための美濃和紙を使用したドレス・スーツ、有名ブランドのTシャツ、ジーンズの裏地染め、手ぬぐい…。「ここ数年は、海外展開しているところから風呂敷以外のオーダーをもらうケースが増えています」。一三さんはうれしそうに一言、「すべて社長に任せていますから」

これからの風呂敷のこと、アート更鐵のことを光さんにお聞きしました。
「風呂敷は、広げれば一枚の布でしかない。でも、一枚あれば絶対に便利なもので、物を包むほかに、バッグにしたり、ふくさにしたりとさまざまなシーンで都合よく使うことができる。これからも風呂敷は、生活のなかに残り続けるものでしょう。この仕事を長くやらせてもらえたらうれしい。手染めの伝統のよさを残していきたい」

インタビューを通して、一三さんは光さんを、光さんは一三さんをお互いに立てるという、とてもあたたかい絆を感じました。

ねりま観光センターとのコラボ風呂敷、完成間近!

最後にとっておきの話題を! 現在、ねりま観光センターが依頼して、「練馬オリジナル風呂敷」を製作してもらっています。

「着物や風呂敷で使われている昔ながらの柄のよさと、練馬区らしい"カタチ"を組み合わせたい。練馬にこんな会社があるということを区民の皆さまに知っていただけたらうれしい」と光さんは、製作への思いを語ってくれました。

販売は、練馬駅北口すぐCoconeri3階にある産業・観光情報コーナーと石神井観光案内所にて3月下旬を予定。サイズは、いちばん使い勝手のよい綿の二幅(約68cm×68cm)。限定200枚。今からとても楽しみです!

アート更鐵ホームページ
http://www.japan-somemono.net/

取材日:2019年1月23日

ねりま人一覧:https://www.nerimakanko.jp/review/nerimabito/